2016年06月01日

LRTの導入について

ミレニアムの年にフランスにある8都市のLRTを見て回った。
16年も前の話であるが、今でも鮮度を保っている。

ストラスブールのLRTが開業したのは1984年、視察した年の16年前にあたる。
その時にも、どうして日本にLRTは導入されないのか疑問に思った。

しかし、その時からさらに16年がたってもLRTの導入は富山市のみである。
富山市の例もいろんな面で幸運が重なって生まれただけで、我が国への導入に弾みがついたと考えるのは早計だと思う。

確かに、富山市のLRTも車両や軌道、架線等のハードの面ではストラスブールに引けを取らない。
最も大きな違いは、LRTに対する意識とそれを計画し整備する制度などソフト面にあると思う。

例えば、日本では国の支援を受けて中心都市である富山市が単独で計画・整備を進める。
一方、フランスでは都市圏の広域行政庁が主体となり、大半は自主財源で賄われる。

LRTのルート、機種・デザインや停留所周辺の再整備のプランまで市民に意見を求める。
もちろん、合意形成の手続きも法律に明記されている。

LRTは都市圏の交通インフラの一部として、総合的な交通体系の中で役割が位置付けられる。
その結果、鉄道との相互直通やバスとの乗り継ぎや自転車との連携も図りやすい。

そして、何より市民が手軽に利用できる運賃システムが備わり、市民があたかもエレベータのように気軽に利用できる。
行政も自主財源の中でメリハリの効いた整備を進めることができるので、都市の個性を発揮しやすく、それが魅力にもなる。

まだまだ課題も多いが、私が80歳を迎える16年後にはLRTを利用してまち歩きを楽しみたいものだ。
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2016年03月13日

将来予測

仕事柄、将来予測を求められることがある。
20年後の自動車交通量は?等々…

社会の構造変化を考慮する必要がなければトレンド分析をもとに簡単に予測できる。
しかし、今時こんな前提が成り立つのはせいぜい5年が限度だ。

例えば、ハイブリッドカーは、20世紀末から日本と北米で販売がスタートし、その後2008年に中国、2010年にヨーロッパに拡大した。
今から20年前に今日のように普及するとは予測できなかったのではなかろうか。

社会の構造変化を考慮しなければ将来予測はできないが、社会の構造変化を予測すること自体が難しい。
そこで、社会の構造変化は予測ではなく仮説として扱うことが多い。

仮説であるからひとつだけでは外れるリスクも多い。複数の仮説をもとに将来予測すれば外れるリスクを減らすことができる。
こうして、様々なケースの将来予測が行われるようになったのはいいと思うが、結果の活用面で少し問題があるように思う。

予測プロセスに合理性があるからといって、関係者が予測結果を納得できなければ意味はない。
仮説(希望)の実現を左右するのは技術・産業、社会(意識、精度)、政策等のブレークスルーである。

それらの可能性を含めて、将来に対する共通認識(希望)を形成するツールとして、将来予測結果をもっと活用すべきだと思う。



3月13日 Y.I.記
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2015年08月06日

水の効用

今年の暑さは体に応える。
昼は外出すると汗まみれ、夜はエアコンなしでは眠れない。

近くの公園では、ポンプやせせらぎに集まって水遊びをしている。
僅かな流れの中を素足で歩く子供、服を着たまま仰向けになる子供、みんな楽しそうだ。

水は気温調節だけでなく、遊び方の工夫や社会性を身に着ける知育遊具としての機能も担っている。
防災用の貯留水と地下水を使った費用対効果の高い施設だ。

先日の猛暑日、京都に墓参りに出かけた折に、強い日差しを避けて高瀬川沿いの小道に降りた。
すると、涼しいのはもちろんだが、せせらぎの音が心地よい。

このように、水は不快な熱や音を取り除き快適な都市環境を創る力が備わっている。
また、子供をひきつける知育遊具として、また災害時には地域の絆を支える社会インフラとして活躍する。

阪神大震災以前にもこの周辺には沢山井戸があり、それが被災直後の消火や震災直後の被災者の助けになったそうだ。
その記憶が公園の地下を貯留地にする発想を生み、まちかどにポンプをつくるきっかけになった。

まちづくりにおいて水を活かす取り組みが増えれば、公園やまちに出る人が増える。
その結果、エアコンの使用が減りまちの温度も下がり、子供の創造性や社会性の鍛錬が進む。

子供だけでなく大人も人と人のふれあいの機会が増えて地域社会の絆が強くなる。
また、日頃から水のある暮らしに慣れておくことで、たとえ大災害で被災しても慌てずに済む。

水の多面的な効用を再評価し、まちづくりに取り入れる工夫に力を入れたいものだ。


8月6日 Y.I.記
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2014年09月01日

六甲道南公園の夏

今年は、猛暑日こそ少ないものの蒸し暑くて不快な日が多かった。
近くにある六甲道南公園の子供連れの行動パターンにも変化が見られた。

まず、昼間時より夕方や日没後に利用者が多い。
昼食場所も炎天下の芝生を避けて、日陰のある所を選んでいる。

子供が遊具や砂場で遊ぶ時間も、日陰になる夕方以降にシフトする。
子供を遊ばせながら芝生で団欒するファミリー集団も多い。

昼間時に人気があるのは水のある、せせらぎやポンプ。
いつもというわけではないが、水が流れている時には子供の歓声が絶えない。

この公園は、阪神淡路大震災の復興事業として防災公園として整備された。
しかし、平常時にも市民の憩いの場として違和感なく利用されている。

日陰のある昼食の場は、災害時にボランティアの受け付けや救援物資の受け渡し場所に変わる。
せせらぎやポンプの地下には耐震貯水槽があり、災害時には消火用水や生活用水として利用される。

防災施設と言えば一昔前までは要塞のような近寄りがたいイメージがあった。
しかし、普段から使っていないとメンテナンスがおろそかになり、肝心の災害時に役に立たないことも多い。

これからは、災害時、平常時のあらゆる場面を想定して使い易い都市施設を計画する必要があると思う。
同時に、いつまでも快適に利用してもらえるように、継続的な維持・管理の仕組みも重要である。

六甲道南公園は、震災後のわずかな期間で計画された施設であるにもかかわらず、上記の点で成功している。
この成功に学び、あらゆる場面で快適に利用できる都市施設の整備に取り組みたいものだ。


9月1日 Y.I.記
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2014年07月01日

都市交通システム考

学生時代、京都にはまだ路面電車が走っていた。
のろまな時代遅れの乗り物には違いないのだが、よく利用させてもらった。

最近では、墓参りに行く時に地下鉄を利用する。
乗車時間は短いが混雑がひどく決して快適ではない。

地上に出るには長い階段を利用する。
エレベータもあるが、遠回りになるので利用したことがない。

地上に出ると、烏丸通から河原町通りまで歩く。
五条通は広幅員なのだが歩道は自転車と兼用、日除けの高木もない。

夏になると歩くのがつらいのでタクシーやバスを利用したこともある。
しかし、乗車するまでの時間や信号待ちの時間等を考慮すると決して賢い選択と思わない。

一方、ロンドンの地下鉄は19世紀末から建設が始まった。
Tubeと呼ばれる小断面の地下鉄で、車内は狭くトンネルや駅の連絡通路は素掘りの岩肌のままだ。

しかし、路線は網の目のように張り巡らされており地上に出たらすぐ目的地にたどり着ける。
そして、エレベータやエスカレータが完備されており、階段を利用する必要がない。

次は、フランスのストラスブール。
京都と同じ歴史都市でかつて混雑等の交通問題に悩まされた点も共通する。

しかし、地下鉄ではなくトラムと呼ぶ新型路面電車を都市問題解決の切り札に使った点だけは違う。
京都では厄介者としてお払い箱になった路面電車はすっかり姿を変えてよみがえった。

姿は変わっても道路から乗り降りできる手軽さは昔の路面電車と変わらない。
自動車の代替というより徒歩の補完手段と考える方がぴったりくる。

我が国でも、本格的な成熟社会の到来を目前に控えている。
それまでに、徒歩を補完する身近な交通システムの再編・整備を急がなければならない。


7月1日 Y.I.記
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2014年01月01日

狭い都市空間を活かす先人の知恵

大阪ミナミの繁華街にある法善寺界隈、学生時代からお気に入りの場所のひとつである。
かつては、千日前に刑場があり、罪人が市中引き回しの最後にたどり着く場所だったそうだ。

娯楽の少ない江戸時代には、処刑も見世物として多くの人を集めた。
集まる人を目当てに遊興・娯楽施設が集積する。

しかし、当時、贅沢はご法度で、これらの施設の立地は厳しく規制されていた。
そこで、寺社奉行の管轄で規制が緩い寺の境内に遊興・娯楽施設が立地するようになった。

法善寺も、処刑される罪人を弔うために建立され、当初は境内も広かった。
しかし、その後、寺と繁華街の不思議な共存が進み、今の法善寺界隈が生まれた。

狭い路地に沿って小さな飲食店が思い思いの意匠で軒を並べているが、雑然としているわけではない。
有名な水掛不動にお参りしていると、すぐ傍に繁華街が広がっていることを忘れてしまう。

神聖な空間と繁華街が狭い都市空間の中で見事に共存している。
これは、路地を屈曲させて狭い都市空間に異質の空間を共存させる技法『折れ曲がり』を応用しているそうだ。

これを、「日本の都市空間」(彰国社)という本で初めて読んだときには驚かされた。
この本には、他にも日本古来の空間形成の原理や技法が体系的に整理されている。

新年にあたり、『温故知新』の大切さを思い返す意味で、再度まとめてみた。


1月1日 Y.I.記
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2013年07月03日

大阪今昔

先日、久し振りに大阪に行く機会があり、グランフロント大阪を訪れた。
大阪駅のレトロな外観は高層ビルに置き換わり、駅には大屋根がかかっている。

欧米では当たり前の鉄とガラスの大架構の駅舎は、10数年前には全く受け入れられなかった。
検討ばかりで実現できなかった大阪駅の南北を結ぶ自由通路も、想像した以上に立派だ。

グランフロントも先行開発区域と広場が完成しているだけであるが、自分の中ではすでにスケールアウトしている。
ただ、まちが歩行者中心にデザインされているので、立ち止まって周りを見渡せる。居場所は確認しやすいので安心だ。

駅前が、歩行者中心の広場になっているのもヨーロッパでは当たり前なのだが、日本の大都市では珍しい。
広場にオープンビア?を見つけたので、そこで来街者を眺めながらしばしの休息をとった。

次に、学生時代からよく通ったミナミの店に行った。
周辺にはケバイ店、怪しい店が増えたが、私の馴染みの店は、外観も内装も変わらない。

メニューも賑わいも昔のままであるが、店のスタッフや客層は変わっている。
でも、世代交代をしても人の流儀は昔のままである。

この変わらない流儀が、大阪の文化を支えてきたような気がする。
グランフロントにも、新しい大阪の文化を支える独自の流儀が育ってくるのを期待したい。


7月2日 Y.I.記
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2013年06月01日

職住近接

事務所を六甲道に移転して40日が経過しました。
利便性や緑とオープンスペースに恵まれた環境は申し分ないのですが、ひとつだけ困っていることがあります。

それは、職住近接による運動不足です。
これまでは事務所が三宮にあり、通勤だけで片道1500歩歩いていましたが、今はたった500歩です。

職住近接だと寄り道も減るようです。
歩く距離が減り、体重が増え始めました。

そこで、昼休みの散歩とジムでのウォーキングを日課にするようにしています。
お蔭様で、体重も元通りになり、以前に比べて六甲道周辺の事情に詳しくなりました。

でも、同じことを繰り返していてはいずれ飽きてしまいます。
やはり、ライフスタイルそのものを変える必要があります。

欧米のように、コミュニティの仲間や家族と過ごす時間を増やす必要があるのかもしれません。
職住近接のライフスタイルの定着に向けて、欧米の都市のように、夜間も仲間や家族で手軽に利用し会話が弾むパブやレストラン、文化施設、公園等をまちのインフラとして充実させたいものです。


6月1日 Y.I.記
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2013年02月02日

『未来予測』

これまで幾多の交通量予測を手掛けてきた。

30年前の高度成長から安定(低)成長への移行期には、主に通勤・通学輸送でマイカーから鉄道に利用をシフトできるかが課題とされた。

そこで、マイカーから鉄道への需要シフトを前提に交通量予測が行われたが、シフトは進まず、見込みは外れた。

バブル経済が終焉を迎えた20年前、人口や経済の伸び悩みの傾向が強まった。

同時に、通勤・通学の大量輸送から業務交通や物流の効率に関心が向けられるようになった。

交通量予測でも、これまで与件としてきた未来社会の予測や業務や物流の仕組みの変化を予測にどのように反映させるかに腐心し始めた。

当時、恩師の助言で、交通量予測の前に、少子高齢化や高度情報化、外国人就労者の増加等の未来予測に取り組んだことを思い出す。

当時は、まだ理解者は少なかったが、この頃から、未来予測をしないと交通量予測はできないと考えるようになった。

人口予測でも、自然増減は予測できても社会移動の予測は難しい。東京一極集中が進んでいた20年前に、社会移動の将来を正確に予測できる人などいなかったに違いない。

しかし、未来予測のシナリオは様々描かれていた。そのシナリオに沿って交通量を複数予測するならできる。

これが、未来予測ができないと交通量予測ができないといった理由だ。

未来予測のシナリオが明確であれば、予測値の位置づけも説明しやすい。

また、未来予測が外れてもすぐわかれば、間違った前提の予測値を使い続けて、信頼を失う愚も起こらなくなるだろう。

そして、何より同じ未来予測のシナリオの実現という目標をみんなで共有きることが、素晴らしいと思う。


2月2日 Y.I.記
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2012年12月02日

ハーバーランド考

先日、兵庫区あたりのまち歩きをした。
起点は神戸駅、ハーバーランドを通って東出町へと向かった。

ハーバーランドは、当時の国鉄操車場跡地再開発の先駆けで、別の地区の仕事で大いに参考にさせてもらった。
華やかだったハーバーランドセンターのエントランスホールは人影もまばらになっていた。

エスカレーターも止まり、案内も見当たらないので、建物内の通過をあきらめた。
外へ出て、歩道を歩いたがハーバーランド内の案内はあるが、周辺のまちとのつながりがわからない。

持参した地図を見ながら、少し、遠回りをしてようやくハーバーランドの外へ出た。
そこには、兵庫区の下町の風景が広がっていた。

ハーバーランドの開発では、周囲のまちづくりの起爆剤としての役割も期待されていたはずである。
期待通りに開発効果の波及が進んでいない様子を見ると少し考えさせられる。

そう言えば、ハーバーランドは何度も訪れているが、モザイクあたりのイベントが目的のことが多い。
動線も、神戸駅〜モザイク〜メリケンパークしか考えたことがなかった。

しかし、イベント頼みの需要だけで商業・都市機能が成立するはずもない。
周辺の定常的な需要を底上げし、取り込むことも必要だ。

そう言えば、20年ほど前、ボストンを訪れた際に、ウォーターフロントの開発単独では需要を呼べない。
都心と連絡する都市軸の整備と一体でなければ成立しないと言っていたのを聞いたことを思い出した。

そのため、都市軸上でクインシーマーケット等の開発を行い、都心と臨海部を回遊する仕掛けとした。
また、その後、臨海部と都心部の分断要素となっていた高架の高速道路の地下化も行った。

そして、現在でも、クインシーマーケットはフリーダムトレイルに沿ったボストンの名所として賑わっている。
複数の地域が連携して相乗的に効果を高めていくことが、都市機能開発を成功に導く道なのかもしれない。


12月2日 Y.I.記
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2012年05月31日

有馬温泉にて

先日、日曜日に、有馬温泉を訪ねた。

通常より人出は少ないとのことだったが、それでも中心部の道路には人と車が溢れていた。

アクセスの方法が、多様で便利なところが有馬温泉のいいところである。

神戸電鉄を使えば、三田(福知山線)からも三宮・新神戸(北神急行線)からもアクセスできる。

梅田や難波、三宮とも直通バスで結ばれ、近隣各方面からは路線バスも利用できる。

自動車アクセスも、中国道のICや北神戸線のランプにも近く、芦有道路や盤滝トンネルで阪神間とも結ばれている。

ところが、有馬温泉の町中では旧来の道を舗装しただけのものが多く、狭いうえに見通しも悪い。

中心部には石畳が敷かれた坂道もあるが、ここにも車が進入してすれ違いに難渋する光景も目にする。

しかし、これらにもまして大きな問題がわかりにくさである。

中心部ではどちらに行こうか迷いながらうろつく車をよく見かけた。

迷っている人には申し訳ないが、限られた有馬温泉の道路の容量の浪費以外の何物でもない。

一方、鉄道駅とバス停(方面別に2か所)、ロープウェイの乗降場がそれぞれ別の場所にあり、宿泊・温泉施設の送迎車が頻繁に行き来している。

送迎サービスが受けられない日帰り客は、案内情報を求めて中心部に向かう。

かくして、中心部に人と車が溢れカオスを増幅させる。

このカオスを根治し、ゆったりとした時間が流れる温泉情緒のあるまちの姿を取り戻してほしいものだ。

短時間の有馬温泉での滞在ではあったが、まちの構造をわかりやすく再編し、人と車の関係をあらためて見直す必要性を感じた次第である。


6月1日 Y.I.記
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2011年10月01日

現象の観察と想像力

東日本大震災で起こった巨大津波の研究を通して、“ダイナミックオーバーシュート”という新しい理論が生まれた。
この理論は、東日本大震災による巨大津波が、震源域の地震による地殻変動が主因とする従来の津波発生メカニズムに基づくシミュレーションでは再現できなかったことがきっかけで生まれたようだ。

これまで、地震による地殻変動は、変動が、陸側、海側のプレートの境界の上部にある海溝軸の部分がつっかえ棒になって受け止められると考えられてきた。
しかし、震災後の調査で海溝軸の部分の変動が、震源域の変動約20mを上回る50mも生じていたことが確かめられ、これらを仮定するシミュレーション巨大津波が再現できた。

その後、この新しい理論をもとに、東海、東南海、南海で海溝型巨大地震が起こった場合の被害予測が行われ、過去の巨大津波の記録にある被害が決して想定外でないこともわかってきた。
このように、“ダイナミックオーバーシュート”という新しい理論が、東日本大震災の原因究明だけでなく、今後予想される大震災の的確な被害想定にも寄与するものと期待される。

さて、地震予知の営々とした取り組みの中で“ダイナミックオーバーシュート”は何故わからなかったのか、そして、それが何故今回解明されたのだろうか。
その主な理由として、研究者の先生方が現象にアプローチする姿勢や方法の変化があったのではないかと思う。

そもそも、現象再現できないモデルを現象予測に使っている場合も多いが、これではモデルの再現力≒予測能力を確かめようがない。
ここで、現象再現できないモデルとは、現象再現というプロセスを省略するものや現象再現にトライするものの再現性が悪いもの、不合理な調整を加えて無理に現象再現をするものが含まれる。

これに対して、前述した事例の先生方は、現象が再現できないのはこれまでの考え方では説明できないことがあるのではと、先入観を捨てて謙虚に現象の観察から考え方を再検証したところ。
もうひとつ、多くの可能性の中から“ダイナミックオーバーシュート”という仮説を導く想像力も素晴らしかったと思う。

仮説がなければ、広大な海のどの地点をボーリングすればいいか分からない。
ここでいう想像力は、現象を効率的かつ効果的に観察する方法を的確に導き出せる、学習と経験に裏打ちされた能力を指している。

現象を観察しモデル化を行う→モデルを使って現象を再現する→再現できない現象があれば想像力を働かせて欠落したメカニズムを仮定し、先入観を捨てて謙虚に現象を観察しモデルを再構築する→…この繰り返しこそが、コントロールの難しい自然や社会の現象を理解し共存するために求められている。
そのことを前述した事例は教えてくれていると思う。


10月1日 Y.I.記
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2011年02月28日

神戸と大阪の生活環境比較

2月14日に、長年住み慣れた大阪を離れ、神戸に引っ越しました。

元の住まいは、谷町線千林大宮駅徒歩5分の第2種中高層住居専用地域(200%)の戸建住宅、新しい住まいは、JR六甲道駅・阪神新在家駅徒歩4分の商業地域(500%)の賃貸マンションと、引っ越し前後で生活環境は随分変わりました。

まず、居住スペースが半減し、夫婦二人暮らしに適正な規模になりました。その結果、暮らしの利便性は向上しましたが、特に収納に困るようになりました。
引っ越しを契機に、大胆に処分したつもりでしたが、それでも収納スペースが足りません。

それ以外のスペースも、地べたの庭がベランダに変わり、高所恐怖症の身には近寄りがたい場所になってしまいました。

一番気にしていたのは、道路交通騒音ですが、今のところあまり気になりません。

そして、何より気に入ったのは生活の利便性です。
通勤時間は70分から20分に大幅に短縮、区役所や駅にも近く、雨に濡れずに行くことができます。
公園やスポーツジム、温泉もすべて3分圏内で、ショッピングセンターも5分圏に6軒あります。
飲食店も、一流店こそありませんが、大衆店、ファミリータイプからこだわりの専門店まで、様々な店が揃っています。

従前も、大阪でも有数の千林商店街が近くにあり、それなりにいろんな店が揃っていたのですが、利便性では六甲道にかないません。
逆に、町内会のつながりや馴染みの店の会話等、まちの温もりの点では、大阪の方が性に合っているような気がします。
そのため、散髪や馴染みの店に時々通っています。

ところで、都市計画法の理念に、健康で文化的な都市生活の実現がありますが、その実現には、利便性だけでなく人と人のつながりに根差す温もりという視点も重要なのではないでしょうか。
元の大阪の家に戻ることもあるかもしれませんが、それまでは、神戸と大阪の生活環境比較を通じて、まちの利便性と温もりを実現する方法について考えてみたいと思います。


2月28日 Y.I.記
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2010年12月02日

生活基盤投資について

1990年頃、日本はバブル景気に沸いていた。
その頃、インフラ整備の必要性を論じるのに、「本格的な少子・高齢社会を迎える21世紀初頭までの間に、投資余力を活かして、着実にインフラ整備を…」という決まり文句がよく使われた。

その後、2005年に合計特殊出生率は1.26に低下し、高齢化率は20%を超えた。
人口も2005年をピークにその後減少に転じている。
21世紀初頭は、あれから15年後に現実のものとなった。

一方、インフラについは、高速道路や新幹線、空港などの広域交通体系整備や拠点開発に対する投資に比べると、生活基盤整備に対する投資はそれほど拡大しなかったように思う。
このようなインフラ投資のアンバランスがもたらした歪な都市の姿は方々で見られる。
ターミナル周辺の拠点開発の一方で、旧態依然のまま取り残され、人がひしめき合う狭い駅や通路…等々

投資余力をインフラ整備に活かすことは正しかったと思う。
ただ、今になって考えると、余力のある間にもっと生活基盤投資に重点を置くべきだったように思う。
生活基盤投資は、一過性の拠点開発に比べて即効性はないが、生活の質を高める効果は長期間持続する。
投資効果さえあれば外資に依存できる拠点開発は、投資余力が失われてからでも工夫の余地はあるが、生活基盤投資は手遅れになってしまう。

幸い、企業や家計の投資余力は減退しているとはいえ、一定の水準は維持している。
もう一度、投資余力の残された期間に、着実に生活基盤整備を進めることに注力すべきではなかろうか。

12月2日 Y.I.記
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2010年09月30日

交通結節点整備について

1.交通結節点とは

交通結節点とは、複数交通機関が連絡し交通動線が集中する場所と一般に定義される。
鉄道の乗継駅がその代表的な例である。

交通結節点は、公共交通機関相互及び他の交通手段を連絡し円滑な乗換えを支える交通結節機能や交通結節機能がもたらす集客の結果成立する拠点形成機能、ランドマークとしての機能、さらには非常時の避難や防災活動の空間を提供する防災機能等多面的な機能を有する。

わが国の場合、私鉄がそれぞれのターミナルを中心にその路線網を拡大していった歴史があり、ヨーロッパに比べると都市拠点が交通結節点の集客力に依存して成立しているケースが多いところに特徴がある。

2.交通結節点は誰のもの

大阪を代表する交通結節点である梅田ターミナルでは、鉄道会社による開発プロジェクトが進行中である。
工事が始まって、これまで利用してきた通路が、突然閉鎖され、右往左往することが増えた。

閉鎖された通路は、鉄道会社のものだが、同時にみんなが利用する交通結節点の大事な施設でもある。
そして、交通結節点では、不特定多数の人達に、移動目的や心身の状態に応じてルートや交通手段を選択できる自由度と、迷わずに迂回や段差の負担を強いられることもない移動空間や情報の提供がなされるべきである。

交通結節点が、都市の顔にも等しいパブリックな空間であることを再認識し、協働して迂回路の確保や情報提供に取り組む仕組みづくりが必要だと思う。

3.関係者の連携と一体管理の必要性

交通結節点と言えば、地上の駅前広場をイメージすることが多いが、梅田の場合は地下通路の方がよく使われる。
しかし、この地下通路の整備や管理はバラバラで、迷路のようなネットワークに加えてサインの統一も不十分で、まちに不慣れなビジターにとっては、極めてわかりにくい。

また、管理区分の境界には段差があり、歩きにくい場所も多い。
浸水対策にしても、公共通路や地下街などは大丈夫だとしても、接続するビルの対策は大丈夫かと考えると少し不安になる。

この際、交通結節点を構成する重要な施設の管理者を中心に関係者が連携して、交通結節点を一体管理する仕組みを作るべきだと思う。

※下記の本の中で、交通結節点の項を分担執筆しました。ご興味があれば、是非ご一読ください。

『情報化時代の都市交通計画』コロナ社(全334ページ)
 本体価格4,500円 税込4,725円
 発行年月日2010年10月21日

10月1日 Y.I.記
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2010年08月30日

成熟社会の交通計画

1.需要追随の社会資本整備からの脱皮

かつて、よく耳にした需要追随の社会資本整備からの脱却という言葉を最近聞かない。

高度成長時代、需要の増大に社会資本整備が追い付かなかった反省から、将来の需要を見通した上で、計画的に社会資本整備を進める必要があるというのが、元々の考え方だったと記憶している。

交通計画の分野でも、昭和40年前後にOD調査に基づく交通量推計の方法論の開発が盛んに進められ、昭和50年頃までに、トリップ数の予測→発生集中量の予測→分布交通量(OD表)の予測→(交通手段)分担交通量の予測→(路線)配分交通量の予測の5段階推計法が確立し、実務でもその適用が進んでいった。

その後、安定成長から低成長の時代に入ると、需要追随からの脱却の意味するところが、「需要にのみ捉われてはいけませんよ」という意味に、少し変化してくる。

実務では、交通量配分結果に基づく需給バランスを金科玉条に計画すればよかったのが、望ましい交通手段分担や土地利用との調和などにも配慮が求められるようになる。

さらに、需要追随からの脱却とは、理念先行の計画を実現することだという考え方も生れ、交通計画における需要予測の位置付けが低下した時期があった。

2.需要追随が必要でない時代の到来

そして、需要が増えないので追随する必要もない時代がやってきた。

ようやく、交通計画をじっくり考える余裕が生まれたから、望ましい交通の姿やそれを実現するための理念についてじっくり考えようとする雰囲気が生れると思いきや、需要追随の計画論が費用便益分析に姿を変えて復権を果たした。

費用便益分析は、B/Cが期待できない計画は中止し、B/Cの期待できる計画を優先する考え方である。

式からもおわかりのように、便益が大きいほど評価が高くなるが、便益に最も効くのは整備前後の交通量と短縮時間であるから、結局需要の大きい路線ほど評価が高くなる。

需要追随とまでは言わないが、需要重視の計画論であることは間違いない。

3.成熟社会を支える計画論への脱皮

事業効果の高い道路の整備を優先するという考え方に異議はないが、それでは事業効果の低いからといって、その道路整備が不要と判断することが正しいといえるのだろうか。

例えば、中心地区のメーンストリートで、交通量は少ないが、歩行者や自転車の混在、朝夕の混雑やバスの遅延の問題が生じている場合はどうだろう。

道路の新設はコストが高いので、便益に見合わないかもしれないが、現道改良や交通運用と規制の見直し程度であれば、便益に見合うコストで問題を解消できる可能性は大いにある。

ただし、現道や交通運用や規制を変えるには関係者の合意形成が必要なので、コストを抑えることはできても、手間は増える。

しかし、この手間が、成熟社会の都市に欠かせない“わがまち意識”を醸成し、豊かな生活・都市環境の創造に向けた協働のまちづくりにつながると思う。

交通計画も、そろそろ需要追随やスクラップ&ビルドの計画論から脱却し、成熟社会を支える計画論への脱皮が求められているのではなかろうか。

おわりに

弊社で取り組む “交通まちづくり” は、本稿で書いた成熟社会の計画論のひとつの形ではないかと思う。

従来の計画論では、需要予測の結果ありきで需給バランスを取るための計画を考えたが、交通まちづくりでは予測の前提条件をそのものを議論し、複数のシナリオを想定して需要予測を行い、計画の妥当性を検証する。

従来の計画では、パイプの太さだけが問題とされ金太郎飴の計画になりがちだったが、交通まちづくりでは、信号や駐停車、歩行者や自転車など、身近な問題のすべてが計画の対象とされ、関係者が重視する問題に応じて異なる計画がアウトプットされる。

こうして自分たちの手で創り上げるまちの個性が、まちに対する愛着を育て、わがまち意識を涵養する原動力になると思う。

今後とも、交通計画に対する豊富な経験と交通シミュレーションというシナリオ検証ツールを活かして、交通まちづくりに取り組み、成熟社会の豊かな都市づくりの一助となりたいものである。

9月1日 Y.I.記
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2009年01月30日

コモンスペースの効用

ブラジルで暮らす従妹がリオで売り出されたアパートの広告用のプレゼンPPTを送ってきました。

さぞかし広いだろうと思って見てみると、一番広い部屋でも81.95u。
日本の平均的なマンションと変わりません。

Private.PNG

彼女曰く、狭くてお手伝いさんの部屋も取れない。
でも、ベランダにはバーベキューの設備が完備し、屋上には共用のプール、ジャグジー、サウナ、マシンジム、キッズスペース、サロンなどの広いスペースが確保されています。

Common.PNG

ざっと、32室、4フロア分のプライベートエリアに対して、屋上だけで1フロア(約600u)の共有スペース。1階のフロアやオープンスペースを合わせると実に半分程度の共有スペースが確保されていることになります。
コモンスペースを重視するブラジルの特徴が見てとれます。

翻って私の身の回りを見ると、バーベキュースペースのような家族団欒の場も縁台将棋や井戸端会議のできるコモンスペースも少なくなりました。
失われた家族や社会の絆を取り戻すためにも、コモンスペースの効用について再考する必要があると感じました。

1月30日 Y.I.記

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2008年07月28日

社会インフラ整備と都市計画の役割

通り魔事件が頻発し、その背景に人と人のつながりの喪失があると言われる。
確かに、家庭も、地域社会も、かつての教育の場という社会インフラとしての役割が失われつつあるように思う。

善悪の判断の基準は、叱られながら家庭や地域社会で学んできた。
けんかをするのはいいが、弱い者いじめはダメ、急所を攻撃するのもダメ、相手が泣くか血を流せばノーサイド、一定のルールの存在やその意義を、知らず知らずのうちに理解するようになった。

それでは、なぜ家庭や地域社会が、教育の場としての社会的インフラの役割を失ったのだろうか。
この問に答えられる資質も能力も持ち合わせないが、ひとつだけ言えることがある。

それは、家庭や地域社会がその役割を放棄してしまっているということである。
間違った個人主義が横行し、家庭や地域社会が子供たちに口出しすることをためらわせている。

そして、けんかや悪戯が禁止され、子供が自分でルールを学ぶ機会を奪っている。
その結果、善悪の判断ができない社会人が増えていく。

同じことが、都市計画にも言えるのではなかろうか。
都市計画の理念は、「健康で文化的な都市生活及び機能的な都市活動を確保すべきこと」(法2条)とされる。

健康で文化的な都市生活や機能的な都市活動が、人と人のつながりに根ざす社会があって初めて成立するものであることは論をまたない。
しかし、実際の都市計画では、人口や都市機能の受け皿となるハコモノや土地利用が主なテーマで、理念について語られることは少ない。

子供がのびのび育つ環境づくり、共働きでも安心して子育てのできる受け皿作り、高齢者が都市生活を楽しめる生活の場づくり、いずれも社会システムの変革の方向について関係者の合意を形成し、その実現を支える都市施設や土地利用などの社会インフラを整備していくことが求められるテーマである。
市民の参加と協働のもとで、社会システムのビジョンに対する合意を形成し、社会インフラとしての土地利用や都市施設整備の実現する手段としての都市計画の役割を再認識すべきではなかろうか。

7月29日 Y.I.記

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2008年02月26日

エコ生活の社会的側面

先日、テレビでエコ生活に取り組む市民の姿が紹介されていた。
その中で、燃料費の節約に取り組む家族の取り組みが印象に残った。

その家族も、最初はこまめに暖房を消す、灯油から電気や薪への燃料の切り替えをするなどの工夫に取り組んだが、やがて限界を迎えた。そこで、家族の生活時間を調整して、お風呂に入る時間や食事やテレビを見る場所や時間を集約し、もう一段の燃料費節約に成功したそうである。

驚いたのは、これが決して涙ぐましい努力ではなく、家族のみんなが良かったと感じている点である。忘れていた、団欒の時間がよみがえり、その良さを再発見したというのである。

確かに、私の子供時代は、家族が一緒に食卓を囲み、掘りごたつに入って同じテレビを見るというのは、ごく普通に見られた光景だったが、今はまれになった。昭和レトロへの回帰を主張するつもりはないが、我々が失ってしまった大切な家族団欒の時間を取り戻すことがエコ生活実現の鍵を握っているように思う。

ところで、家族の団欒がエコ生活に結びつくのは、時間や場所の共有でエネルギーの利用が効率化されるためであると言い換えることができそうである。そうであれば、家族を社会(コミュニティ)という言葉に置き換えれば、もっとエコ生活実現の可能性は広げられる。

市民マラソンも、時間や場所を共有する楽しい“社会の団欒”で、意識することなく結果的にエコ生活につながる。公共交通機関やカーシェアリングも、エコのためにという理屈では利用は広がらないが、利用者のコミュニティ(団欒)が楽しくなれば自然に利用は拡大し、結果的にエコ生活に結びつく。

理屈よりも、“社会の団欒”の楽しさを再評価し、復権していくことが、エコ生活実現の鍵を握っているのではなかろうか。

2月26日 Y.I.記

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2008年01月29日

成長の条件

独立・開業して5年が経過しました。
ようやく、新しい生活のリズムにも慣れたようで、正月は家でのんびり過ごしました。

テレビを観ていると、ローマ帝国をテーマにした番組が目にとまりました。
その中で、ローマは帝国とは言いながら、皇帝による専制ではなく元老院と市民集会によるチェックという民主的な仕組みが組み込まれていたことを知り、驚かされました。
シーザーは、市民により選ばれ、そして市民の代表である元老院議員に暗殺されました。

考えてみれば、ナチスの第三帝国にも選挙や議会という民主的な仕組みが組み込まれています。
両者の違いは、征服した異民族の扱いにあります。
ローマ帝国は“寛容”に受容し、第三帝国は“差別”し排斥しました。
以前、私のコラムで取り上げたチンギスハンも、“国に境なし、人に差別なし”として、征服した異民族からも“寛大”に側近を採りたてたようです。

前置きが長くなりましたが、こうした事例をもとに成長の条件について考えました。
誰しも成長すると、地位を得て、優越感を持ちます。
それは、仕方のないことですが、それを守ろうとするとすれば成長が止まり、崩壊につながることを歴史は教えています。

ローマ帝国や元の成長を先導した皇帝は、そのことを知っていたから、“寛容”や“ボーダレス”を国の規範としたのではないでしょうか。
これに対して、支えてくれる人が居なければ国や組織は成立しえないという自明の理を否定し、神託や民族の絶対優位を主張した独裁者は国を滅ぼしました。

競争原理に基づく効率の追求は必要ですが、地域社会や地球環境の循環を壊してしまっては本も子もありません。
都市計画や交通計画の中で、あるいは企業活動の中で、じっくり考えてみたいと思います。


1月29日 Y.I.記

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